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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)9118号 判決 1992年1月31日

原告

浅川裕公

外五名

右原告ら訴訟代理人弁護士

斎藤一好

大島久明

斉藤誠

桑原育朗

被告

Y

右訴訟代理人弁護士

山上芳和

主文

一  被告は、原告浅川裕公に対し、金一三二〇万円、同和田信裕、同竹井治子、同佐藤久榮、同浅川喜裕、同浅川裕三に対し各金二五万円及びそれぞれこれらに対し平成元年六月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを六分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告浅川裕公に対し、金一億二一〇〇万円及びうち金三一〇〇万円に対しては平成元年六月七日から、うち金九〇〇〇万円に対しては平成二年七月二〇日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告和田信裕に対し金五〇〇万円、同竹井治子、同佐藤久榮に対し各金四五〇万円、同浅川喜裕、同浅川裕三に対し各金二〇〇万円及びこれらに対する平成元年六月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  亡和田艶子(以下「亡艶子」という。)は、亡和田喜治(以下「亡喜治」という。)の妻、原告竹井治子、同佐藤久榮、亡浅川章子(以下「亡章子」という。)は、亡喜治の子、原告和田信裕は、亡喜治の養子である。

原告浅川裕公(以下「原告浅川」という。)は亡章子の夫、原告浅川喜裕、同浅川裕三、同和田信裕は亡章子の子である。

亡章子は、昭和五五年七月二七日に、亡喜治は昭和五六年六月一三日にそれぞれ死亡した。

亡艶子は、本件提起後の平成元年一一月一〇日死亡した。

亡艶子の相続人は、同人の子である原告竹井治子、同佐藤久榮、同和田信裕であり、亡艶子の相続人であった亡章子の子、すなわち亡艶子の代襲相続人は、原告浅川喜裕、同浅川裕三及び同和田信裕である。

(二)  被告は、東京弁護士会に所属する弁護士である。

2  被告は、原告浅川、亡喜治及び亡章子(以下「原告浅川ら三名」という。)との間で、昭和四九年八月ころ、同原告らの経営する和田外科病院に関する債務の整理等の法律事務の委任を受けた。

3  右受任事件の中には、原告浅川ら三名の武藤誠之輔(以下「武藤」という。)及び八雲商事株式会社(以下「八雲商事」という。)に対する債務の処理が含まれていた。

4(一)  武藤は、亡喜治が所有していた別紙物件目録記載の土地建物(以下「本件土地建物」という。)に設定を受けていた別紙登記目録一記載の抵当権(以下「第一抵当権」という。)に基づき競売申立(東京地裁昭和五〇年(ケ)第五三九号)をなすとともに、原告浅川ら三名に対して七八五万円の支払いを求める株式代金請求訴訟(同昭和五〇年(ワ)第五〇三七号)を提起した。被告は右につき、原告浅川ら三名の代理人として、武藤との間で、昭和五〇年一〇月三〇日大略左記内容の和解契約を締結した。

(1) 原告浅川ら三名は、武藤に対し、合計一二五〇万円の債務の存在することを確認する。

(2) 原告浅川ら三名は、武藤に対し、金融機関から融資を受けたうえ、同日二五〇万円、不動産競売申立取下後一か月以内に五〇〇万円を支払う。

(3) 武藤は、原告浅川ら三名から前項の金員の支払いを受けたときは、残債務を免除し、第一抵当権を前記金融機関に譲渡し、その付記登記をするか、または、第一抵当権の設定登記の抹消登記手続をする。

(二)  八雲商事は、原告浅川ら三名に対し、昭和五〇年九月ころ、貸金三〇〇〇万円の支払いを請求した。

被告は、原告浅川ら三名の代理人として、八雲商事との間で、昭和五一年一二月二四日大略左記内容の和解契約を締結した。

(1) 原告浅川ら三名は、八雲商事に対し、貸金元本三〇〇〇万円と利息損害金一五〇〇万円の債務の存在することを確認する。

(2) 被告は、原告浅川ら三名の右債務を重畳的に引き受ける。

(3) 被告は、八雲商事に対し、昭和五一年一二月二五日までに三〇〇〇万円支払い、同五五年一二月末日までに利息損害金一五〇〇万円を支払う。

(4) 八雲商事は、被告に対し、右三〇〇〇万円の支払いを受けるのと引き換えに(1)記載の債権及び別紙登記目録二記載の抵当権(以下「第二抵当権」という。)を譲渡する。

5  (被告の違法行為、武藤関係)

(一) 原告浅川ら三名は、武藤に対して、昭和五〇年一二月一〇日ころまでに、七五〇万円を支払ったが、被告は第一抵当権の設定登記の抹消登記手続をなさず、昭和五一年一月八日、被告に移転の付記登記をなし、次いで昭和五二年九月二日、被告がその監査役をしている長良工業株式会社(以下「長良工業」という。)に移転の付記登記をなした。その後被告は、右両付記登記を抹消し、武藤の第一抵当権の登記名義を回復させたうえ、昭和五五年二月二八日、武藤を唆して、原告浅川を相手方とする右抵当権実行の競売手続(東京地裁昭和五五年(ケ)第一九九号、以下「①事件」という。)をなさしめた。

(二) そして被告は、昭和五五年四月一四日、武藤を唆して、原告浅川に対する二四五〇万円の譲受債権請求訴訟(東京地裁昭和五五年(ワ)第三七三五号、以下「②事件」という。)を提起させた。

(三) さらに被告は、昭和六一年六月二日、武藤を唆して、原告浅川以外の原告ら及び亡艶子を相手方とする右抵当権実行の競売手続(東京地裁昭和六一年(ケ)第九九九号、以下「③事件」という。)をなさしめた。

(四) 過失に基づく不法行為責任

被告は、弁護士として武藤との間の和解契約によって、原告浅川ら三名の武藤に対する債務をすべて解決し、後に紛争を残すことのないようにする当然の注意義務があり、依頼者である原告浅川ら三名の被告に対する委任の内容には当然のこととしてこのことが含まれていた。

しかるに、武藤との和解において、一方では、七五〇万円の支払いにより第一抵当権が抹消登記されるという条項により、残債務が一切消滅するかのような和解契約をしておきながら、他方では、武藤との間に「本件和解において武藤から原告浅川に返還されるべき同人振出の約束手形のうち、佐藤の所有する二六〇〇万円の手形を除いたものとする。」と曖味な表現の念書を取り交わし、紛争の火種を残してしまった。

しかも、被告はこれら武藤と被告との間に取り交わされた和解書及び念書を、依頼者である原告浅川らには事前にも事後にも見せず、同原告にはこれですべて解決したと報告していた。

これは、法律事務を独占している弁護士として、法律事務を処理する場合の注意義務を怠ったものである。

(五) 故意に基づく不法行為責任

原告浅川らと被告とは昭和五二年一月ころから対立関係となり、被告はその報復のため、①ないし③事件を申立、提起するよう武藤を唆したばかりか、これらの事件において、かつて原告浅川ら三名の代理人として武藤との間の債権債務の紛争に関わった際知りえた知識を武藤のために提供し、縦横に駆使して、原告浅川らをして武藤に対し対抗することを著しく困難ならしめた。これは弁護士法二五条に違反し、かつ民法七〇九条の不法行為である。

6  (被告の違法行為、八雲商事関係)

(一) 原告浅川は、昭和五一年一二月二五日、八雲商事に三〇〇〇万円を支払ったが、被告は、前記原告らと八雲商事間の和解契約を解除したとして、八雲商事をして貸金元本三〇〇〇万円及び第二抵当権を長良工業に譲渡させ、次いで昭和五二年八月二〇日ころ、長良工業を唆して、原告浅川及び亡喜治を相手方とする右抵当権実行の競売手続(東京地裁昭和五二年(ケ)第七八九号、以下「④事件」という。)をなさしめた。

(二) さらに、被告は、右債権を再び長良工業から八雲商事に譲渡させたうえ、昭和五四年八月二二日、八雲商事を唆して、原告浅川及び亡喜治を相手方とする右抵当権実行の競売手続(東京地裁昭和五四年(ケ)第八一〇号、以下「⑤事件」という。)をなさしめ、昭和五七年二月二五日、八雲商事を唆して原告及び亡艶子に対する貸金元本三〇〇〇万円及び利息損害金の請求訴訟(東京地裁昭和五七年(ワ)第二二〇四号、以下「⑥事件」という。)を提起させた。

右請求訴訟においては、八雲商事が原告らに対する貸金債権を放棄したものとして、昭和六三年二月二二日、八雲商事敗訴の判決が言い渡されたが、被告は、八雲商事を唆して右一審判決に対する控訴(東京高裁昭和六三年(ネ)第六五三号、以下「⑦事件」という。)を提起させた。被告は、弁護士法二八条に反して、八雲商事の原告らに対する右債権を譲り受けたうえ、八雲商事が敗訴となると、八雲商事の債権放棄をとがめつづけ、控訴せざるを得なくしたものである。

(三) 被告は、原告浅川らへの報復のため、④ないし⑦事件を提起するよう八雲商事を唆したばかりか、これらにおいて、かつて、原告浅川ら三名の代理人として八雲商事との間の債権債務の紛争に関わった際、知りえた知識を八雲商事に提供し、縦横に駆使して八雲商事に協力したものである。これは、弁護士法二五条に違反し、かつ民法七〇九条の不法行為である。

7  (損害)

(一) 応訴等による損害

(1) ①事件に対し、原告浅川及び亡喜治は、執行異議訴訟の提起(東京地裁昭和五五年(ヲ)第三五一号)を余儀なくされた。

昭和五六年八月一一日、①事件の競売申立てを却下する決定がされたが、武藤が抗告(東京高裁(ラ)第七五〇号)したので、原告浅川は応訴し、同年一〇月二八日、抗告棄却された。

同原告は、右手続の進行を弁護士に委任し、弁護士費用として一五〇万円支払った。

(2) 原告浅川は、②事件に対し、応訴を余儀なくされ、弁護士費用として二〇〇万円支払った。

また、②事件においては、原告敗訴の判決が言い渡されたので、原告浅川は、仮執行宣言による執行を免れるため執行停止(東京高裁(ウ)第一〇六八号)の手続をとり、弁護士費用五〇万円を支払い、控訴(東京高裁(ネ)第二六一八号)を提起して、弁護士費用二〇〇万円を支払った。

原告浅川と武藤とは、右控訴審において、平成二年六月二一日に和解し、原告浅川は武藤に対し同年七月一九日、金九〇〇〇万円の支払いを余儀なくされた。

(3) 原告らは、③事件に対し、競売停止仮処分事件(東京地裁昭和六一年(ヨ)第五八八五号)の提起を余儀なくされ、原告浅川は弁護士費用として一〇〇万円を支払った。

(4) 原告浅川と亡喜治は、④事件に対し、競売停止仮処分事件(東京地裁昭和五二年(ヨ)第七八六四号)の提起を余儀なくされ、原告浅川は弁護士費用として二〇万円支払った。

(5) 原告浅川及び亡喜治は、⑤事件に対し、競売停止仮処分事件(東京地裁昭和五四年(ヨ)第七四三六号、同五六年(ヨ)第八三三〇号)の提起を余儀なくされ、原告浅川は弁護士費用として二〇〇万円支払った。

(6) 原告らは、⑥事件に対し、応訴を余儀なくされ、原告浅川は弁護士費用として二三〇万円支払った。

(7) 原告らは、⑦事件に対し、応訴を余儀なくされ、原告浅川は弁護士費用として四五〇万円支払った。

右弁護士費用合計一六〇〇万円は原告浅川の被った損害である。

(二) 和解による損害

②事件においては、原告浅川が敗訴、控訴し(東京高等裁判所昭和六〇年(ネ)第二六一八号事件)、平成二年六月二一日に和解し、その結果、同原告は、武藤に対し、同年七月一九日、九〇〇〇万円の支払いを余儀なくされた。

⑦事件においては、昭和六三年一二月二〇日、裁判上の和解が成立し、原告浅川は平成元年一月末日、八雲商事に和解金三〇〇万円を支払った。右和解金の支払いは、被告が八雲商事を唆して⑥事件を提起させたことに起因し、同原告の被った損害である。

(三) 慰謝料

原告浅川と亡喜治とは、二年数カ月間、債務整理を委任し、そのプライバシーをもさらけ出して全面的に頼りにしてきた弁護士である被告に裏切られ、攻撃をしかけられたのであって、その恐怖と困惑は計り知れないものである。昭和五五年七月二七日と昭和五六年六月一三日に、原告浅川の妻亡章子と亡喜治とが相次いでこの世を去ったのも、これらの心労が遠因となったであろうことは疑いをいれない。

これらの精神的損害は、原告浅川、亡喜治や亡艶子のみでなく、亡喜治らの死後同人の権利義務を継承し、前記諸事件について応訴等の法律手続を余儀なくされた他の原告にも同様及んでいることは明らかである。

よって、これらの精神的損害を慰謝するには、原告浅川には一二〇〇万円、同和田信裕には五〇〇万円、同竹井治子、同佐藤久榮に各四五〇万円、同浅川喜裕、同浅川裕三には各二〇〇万円が相当である。

8  よって、原告らは、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、7項記載の損害金合計及びそれらに対する不法行為の日の後である平成元年六月七日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし4の事実はいずれも認める。

2  同5及び6の事実はいずれも否認する。

(一) 亡喜治は、昭和五二年七月二九日被告、八雲商事、武藤を共同被告として、第一、第二抵当権の抹消登記請求訴訟を提起した。その主張の要旨は、第一抵当権に関し、武藤の被担保債権は昭和五〇年一〇月三〇日に成立した和解条項に基づく弁済により消滅したとし、第二抵当権に関し、八雲商事の被担保債権は昭和五二年一二月二五日、三〇〇〇万円の弁済により消滅したということであった。

しかしながら、第一、二抵当権については、いずれも被担保債権が残存していた。

しかも被告は、和田外科病院再建事務継続を前提とし、原告らの代理人として、武藤との和解にあたり、第一抵当権の実質的共有者である佐藤浩司(以下「佐藤」という。)から異議が出た場合責任をもって善処する旨約束し、また、八雲商事との和解にあたり、四五〇〇万円の債務を引受け、三〇〇〇万円弁済後一五〇〇万円の引受債務が残ったが、これらは病院再建のため絶対に必要なことであり、原告らにとって極めて大きな利益をもたらしたものである。

(二) しかるに原告らは、被告を一方的に解任してしまったため、右武藤及び八雲商事に対する義務を履行することができなくなってしまった。

しかも、右義務を免れるために、被告は前記登記抹消請求訴訟において第一、二抵当権の被担保債権が残存している事実を主張立証せざるを得なくなってしまったものである。

(三) そこで、武藤及び八雲商事は、被告の右義務を免除する代わりに当然原告らに対する残債権の請求をすることとなり、武藤は被告代理人山上芳和(以下「山上弁護士」という。)に、八雲商事は各務邦彦弁護士(以下「各務弁護士」という。)に各訴訟等の委任をした。

右両弁護士は、前記登記抹消請求訴訟において共同被告の各代理人として出廷し、被告の前記主張・立証により事案の内容を熟知しており、各受任事務の範囲内で原告らに対する請求を実現するために当然の法的手続をとったにすぎず、何ら違法な点はない。

(四) 原告らは、被告が武藤あるいは八雲商事を唆して原告らに対する訴訟等をなさしめたと主張しているが、「唆して……させる」とは本人に請求する意思がないのに唆して請求させることである。しかるに、武藤、八雲商事は原告らに対する各債権の請求をする意思は当然有していたものであり、被告代理人及び各務弁護士は前記登記抹消請求訴訟においては各共同被告の代理人として出廷し、その他の競売手続や訴訟等と各自受任事務の処理として各手続をとったものである。

(五) 請求原因6(二)記載の「昭和六三年二月二二日、八雲商事敗訴の判決が言い渡されたが、被告は八雲商事を唆して控訴を提起させた」との主張は次の理由から全く事実無限である。

すなわち、各務弁護士は昭和五七年二月二五日提訴以来、同六〇年一〇月ころまで、八雲商事の代理人として原告らに対する貸金請求訴訟を追行し、八雲商事勝訴の見通しがついたところで、八雲商事が債権放棄をしてしまったため、各務弁護士は辞任することとなってしまったものである。

したがって、その時以降被告と八雲商事とは敵対関係となったものであり、そのような状況下で被告が八雲商事(訴訟代理人は小林元弁護士)を唆して控訴を提起させたなどということは、社会通念上全くあり得ない。

3(一)  同7(一)の事実はすべて知らない。

(二)  同7(二)の事実中、原告浅川が和解金を支払った事実は認め、その余の事実は否認する。

(三)  同7(三)の事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一当事者間に争いのない事実及び証拠(<書証番号略>、証人大久保雅晴、同武藤誠之輔の各証言、原告浅川裕公及び被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨)によれば、以下の事実を認めることができる。

1  亡喜治の経営していた和田外科病院は、昭和四九年ころには経営が著しく困難になるほどの多額の借金を抱える状態となっていた。亡喜治は、昭和四八年ころから老齢で病気がちのため、原告浅川が実質上病院の経営、診療にあたっていた。

被告は、昭和四九年八月ころ、原告浅川ら三名から和田外科病院に関する債務の整理等の法律事務の委任を受けたが、右受任事件の中には、後述するように原告浅川らが実質上武藤らから借り入れた債務の処理及び八雲商事から借り入れた債務の処理が含まれていた。

2(一)  原告浅川は、昭和四九年二月一六日、三共融資株式会社(以下「三共融資」という。)から三五〇〇万円の借り入れを受けた形になっていたが、同原告らにはその内容が不明であったため、被告に対し、右債務の存否の解明とその処理を依頼した。これら金員は手形割引により武藤が一〇五〇万円、佐藤が二六〇〇万円を実質上貸し付けていたものであったが、武藤は単独で、昭和五〇年三月一三日、三共融資から右債権とその内金三五〇〇万円を被担保債権とする第一抵当権の譲渡を受けた。武藤と佐藤との間には、佐藤の債権分も武藤が取り立てることができるが、これを回収した場合には佐藤に支払う旨の合意があった。武藤は、昭和五〇年六月一六日、自らの持分である一〇五〇万円について競売の申立てをし(東京地方裁判所昭和五〇年(ケ)第五三九号)、さらに二〇〇万円の株式代金請求訴訟を提起した(同裁判所昭和五〇年(ワ)第五〇三七号)。その際、同人は、原告浅川ら三名の代理人である被告と交渉する機会を持った。第一抵当権は、佐藤の債権をも被担保債権としていたため、武藤は第一抵当権を独断で処分できない立場にあったが、当時佐藤と争いがあり、また、被告から、「佐藤から責められた場合には自分が責任を持つ。」旨強く言われ、被告と武藤とは、昭和五〇年一〇月三〇日、大略次の内容の和解契約をした<書証番号略>。

(1) 原告浅川ら三名は、武藤に対し前記合計一二五〇万円の債務の存在することを確認する。

(2) 亡喜治は、港信用金庫または他の金融機関から借入れのうえ一定期間内に右債務の内金七五〇万円を支払う。

(3) 亡喜治が右七五〇万円を支払ったときは、武藤は残債務を事実上免除(催促なしの出世払い)する。

(4) 武藤は、右七五〇万円の支払いを受けるのと引き換えに、亡喜治の要求により前記債務を担保する抵当権を借入先に譲渡しその付記登記手続をするか、または右抵当権の抹消登記手続をする。

他方で、被告は第一抵当権によって担保されている佐藤の二六〇〇万円分の債権が存したことから、「七五〇万円の支払いと引き換えに交付する手形、小切手は佐藤の所有する二六〇〇万円の手形を除いたものとする。」旨の念書<書証番号略>を作成した。

しかし、被告は原告浅川に対して、和解の結果を口頭で知らせただけで、佐藤の有する債権のことについてはこれを報告せず、その際作成した契約書、念書、領収書等を一切見せなかった。

(二)  原告浅川らは、金融機関から七五〇万円を借り入れ、武藤に対し、被告を通じこれを昭和五一年一月上旬までに弁済したが、金融機関に第一抵当権を譲渡する必要はなかった。被告は、前記和解契約によれば七五〇万円を完済したときは第一抵当権を抹消する約束であったにもかかわらず、自らが原告浅川らに対して有する報酬請求権を保全するため、武藤に対しては、亡喜治らの了承を得ているからと述べて、昭和五一年一月八日、被告名義に抵当権移転の付記登記をなした。被告は、その後このように被告名義に登記を移転したことについて、原告らの財産を他の債権者から守るためである旨説明し、原告浅川は被告を信頼していたため、特に異議を述べなかった。

3  八雲商事は、昭和四七年一一月二〇日から逐次、原告浅川ら三名に対して貸付をなし、昭和五〇年(ケ)第五三九号の手続における債権届出時には元本残が三〇〇〇万円であったが、その一部には同原告らにとって債権の存否に疑問なところもあったので、被告にその処理を委任した。被告は、同原告ら三名の代理人として八雲商事と交渉し、昭和五一年一二月二四日、同原告ら三名代理人兼契約当事者として同社との間に大略次の内容の債務弁済及び抵当権の譲渡に関する和解契約を締結した<書証番号略>。

(1)  同原告ら三名は、八雲商事に対し借入残元金三〇〇〇万円及びこれに対する利息・損害金債務を負担していることを確認する。

(2)  被告は、同原告らの右債務を引き受ける。

(3)  被告は、八雲商事に対し右債務を次のとおり弁済する。

イ、昭和五一年一二月二五日限り元金三〇〇〇万円

ロ、昭和五五年一二月末日限り損害金一五〇〇万円(その余の損害金は免除)

(4)  八雲商事は、被告に対し元金三〇〇〇万円の支払いと引き換えに原告らに対する前記債権及びこれを担保する抵当権を譲渡する。

このときも、被告は、原告浅川に対して、和解の結果を口頭で報告するのみで、内容の詳細な説明はしなかった。

原告浅川は、被告の所有していた飯室ビルを担保として東京中央信用組合から四五〇〇万円を借り入れ、うち三〇〇〇万円を右和解契約(3)イに相応するものとして八雲商事に対して支払った。しかし、被告の右担保提供については、東京中央信用組合と被告との間で、第一及び第二抵当権の対象となっている不動産に新しく抵当権を設定し、被告の飯室ビルの抵当権を抹消することが約束されていた。その後、右抵当権は抹消されないままであったが、東京中央信用組合としては当初の約束にも関わらず、被告が後述のように武藤や八雲商事に協力したため、第一抵当権及び第二抵当権を含む八雲商事の抵当権等が抹消されず、順位が変わらなかったため、担保提供の趣旨どおり被告の抵当権抹消を拒否したものであった。

4(一)  その後、被告は、原告浅川ら三名に対して、弁護士報酬の支払いと第一抵当権が被告に譲渡されたことの確認並びに八雲商事から第二抵当権及び根抵当権を被担保債権とともに被告が譲り受けることの承諾を書類で求めてきたが、原告浅川は被告の態度に疑問を持ち、これに署名しなかった。被告は、昭和五二年一月中旬ころ、右書類に同原告らが署名しないこと、被告が原告ら所有の日本画を取り戻すために立て替えて支払ったという表装代一七〇万円の領収書を見せてほしいと頼んだことなどに激怒し、和田外科病院の仕事から一切手を引く旨述べて辞任した。

(二)  原告代理人である斎藤一好弁護士(以下「斎藤弁護士」という。)は、昭和五二年三月下旬ころ、原告浅川から被告との委任契約の円満な解決を依頼されたため、従前の事件処理の内容を確認し、原告浅川と被告との間の委任契約を円満に解決する目的で、被告と数回面会した。その際、被告は、斎藤弁護士に対して、武藤との和解の件に関して武藤と佐藤との関係や佐藤の二六〇〇万円の債権については未解決であることなどの点について一切説明しなかった。同年五月一八日には、斎藤弁護士が金融機関の同意を取りつけた上で、被告に対して従前の職務の対価として報酬額二〇〇万円を支払い、東京中央信用組合に対する被告の抵当権を六月末までに抹消する旨の提案をしたが、被告はこれを拒絶し、同年五月一八日付けで、原告浅川らに対して「通知人としても、被通知人らに対しあらゆる手続をとらざるを得ない決心をした。」、「被通知人が世事にうといなどとは考えず、容赦なくあらゆる手段をとる所存であり、その結果被通知人らにいかなる損害が発生しようともその原因はすべて被通知人並びにその代理人の無知・無能にある。」等と記載した内容証明郵便を原告浅川宛てに送付した。また、同年五月二四日に斎藤弁護士と亡章子が八雲商事に残債務一四〇〇万円の支払いの交渉に赴いたが、そこに居合わせた被告が、「従来とは状況が変わった。」などと述べて話し合いに至らなかった。

(三)  被告は、昭和五二年三月ころ、八雲商事の下世古三雄(以下「下世古」という。)との間で、「自分は原告浅川らから解任された状況にあるので、引き受けた債務を免除してほしい。」旨頼んだところ、下世古は、被告の債務を免除する代わりに和田外科病院に対する残債権を取り立てることを条件として被告に提示したため、被告としては原告らに対する債権の取り立てについて協力する旨約束して自らの債務を免除してもらった。

(四)  また、被告は、昭和五二年四月二〇日ころ、八雲商事と紅粉屋地所株式会社及び川島春男との間の訴訟について、八雲商事の訴訟代理人となった(昭和五二年(ワ)第四三九号損失補償金請求事件、昭和五三年(ワ)第一一号弁済期未到来確認事件、昭和五二年(ワ)第四四一号貸金請求事件等)。

(五)  亡喜治は、昭和五二年七月二九日に、八雲商事、長良工業、被告、武藤を被告として根抵当権抹消登記等請求を求める訴訟を提起した(昭和五二年(ワ)第七一八三号)。被告は、防御のため右被告間で応訴のための打合せをしたほか、右訴訟において事件の内容を熟知しているという理由から中心となって応訴し、右事件において亡喜治に対して報酬を求める反訴を提起した(昭和五四年(ワ)第二九八五号)。

5(一)  被告は、昭和五二年八月九日、被告、武藤、佐藤間において被告の有する第一抵当権のうち二六〇〇万円分は佐藤のものであるとし、「被告は現在移転登記を受けている第一抵当権を正当な権利者である佐藤または佐藤の指定する第三者に譲渡し、その旨の移転登記を行う。」旨約した。そして、その旨の佐藤名義の通知書が原告浅川らに対して送付されたが、右通知書は被告が作成している。

その後、佐藤は、被告が監査役をしている長良工業にこれを移転したとして、被告から長良工業に第一抵当権の付記登記がなされた。しかしながら、佐藤と長良工業とは何の取引関係もなく、かつ、右移転については対価は支払われていない。

長良工業は、第一抵当権に基づき、昭和五三年一〇月二五日、被告の法律事務所にかつて所属していた各務弁護士を代理人として競売申立(東京地方裁判所昭和五二年(ケ)第一〇一四号)をなしたが、倒産のおそれが生じたためこれを取り下げ、昭和五四年六月四日付け解除を原因として同月六日受付をもって被告から長良工業への抵当権移転付記登記を抹消した。他方、武藤は昭和五四年六月ころまでに佐藤から二六〇〇万円の債権の譲渡を受けており、被告は武藤から抵当権を戻すよう頼まれたことから、昭和五四年六月一八日解除を原因として同年一〇月八日受付をもって武藤から被告への抵当権移転付記登記を抹消し、武藤の抵当権を回復させた。

昭和五四年一〇月八日付けで武藤へ抵当権が回復した直後である同年一一月九日、被告は、「近く武藤から競売申立てがなされるでしょう。」と記載した手紙を原告浅川宛てに送付した。

(二)  被告は、昭和五四年一二月ころ武藤の依頼に基づいて、かつて被告の法律事務所に所属していたことのある山上弁護士を武藤に紹介した。①事件で武藤が競売申立てをするために登記済権利証がないと手続きに支障があったことから、被告はそれに利用されることを知りながら、報告書を作成した。①事件の競売申立ては債権が消滅していることを理由に却下されたが、山上弁護士は、武藤の代理人として②事件を提起し、被告は、②事件について証人として尋問を受ける際にも報告書を作成した。

(三)  ②事件については、原告敗訴の判決が昭和六〇年九月二六日に下された。原告浅川は仮執行宣言による執行を停止し、控訴を提起した(昭和六〇年(ネ)第二六一八号事件)。昭和六一年六月二日、武藤は第一抵当権について抵当権実行の競売手続(③事件)をとった。右控訴事件においては、平成二年六月二一日、大略次のような和解が成立した。

(1) 原告浅川は、武藤に対し元本金二四五〇万円及び利息損害金の支払い義務のあることを認める。

(2) 武藤に対し、前項の金員のうち九〇〇〇万円を次の方法により支払う。

イ 同日、六八五〇万円。

ロ 平成二年七月末までに二一五〇万円。

6(一)  被告は、前記のとおり、原告浅川らに対して立腹し、八雲商事、同原告ら三名及び被告間の和解を一方的に解除し、第二抵当権は八雲商事に戻ったとし、八雲商事は、昭和五二年六月一三日、長良工業に貸金債権及び第二抵当権を譲渡し、長良工業の代理人である各務弁護士は原告浅川らに対して、貸金の弁済を求める旨の通知書を出したが、右は被告が作成したものである。八雲商事と長良工業とは何ら取引関係はなく、右譲渡について対価は支払われていない。同年八月二三日、長良工業は任意競売(④事件)を申し立てた(昭和五四年五月二一日取り下げ)。

(二)  昭和五四年四月一〇日、八雲商事は長良工業への債権・抵当権譲渡を解除し、同年八月二二日、八雲商事が競売申立(⑤事件)をした。被告は、⑤事件において登記済権利証がないと競売申立てが困難であったことから、それに利用されることを知りながら、報告書を作成した。

(三)  各務弁護士は、また、八雲商事の代理人として、昭和五七年二月二五日、貸金三〇〇〇万円及びこれらに対する利息、損害金一五〇〇万円を請求する⑥事件を提起した。右貸金三〇〇〇万円の請求は後に取り下げられた。

また、被告は、昭和五七年七月一四日、下世古との間で、前記4(四)において被告が八雲商事のために別件訴訟を担当したことの報酬として、八雲商事が⑥事件において原告浅川らから債権を取り立てた場合には、その全額を譲り受ける旨の覚え書きを締結したが、そこには下世古が被告に対して「亡喜治に対する債権の取立に当たって、抵当権、根抵当権及び被担保債権の譲渡、処分等は一切貴殿にお任せ」する旨の文言が記載されており、八雲商事は被告に右債権を事実上譲渡した。そして、⑥事件の弁護士費用等はすべて被告が負担した。

⑥事件においては、八雲商事の代表者亡下世古美知が、昭和六一年一〇月九日、債権放棄の意思表示をしたので、昭和六三年二月二二日に言い渡された判決においては原告勝訴となった。

(四)  被告は、その間下世古に対し、⑥事件における八雲商事の原告浅川らに対する債権は、前記4(四)に示される訴訟等の報酬として取り立てを条件に被告が八雲商事から譲り受けたものであるのに、八雲商事が債権放棄をしたのは債権侵害であると主張し、もし放棄するなら別件訴訟の報酬を請求すると述べたため(現に被告は昭和六三年二月一七日、同じ理由で、八雲商事と代表者である亡下世古美知の相続人を被告として、損害賠償請求訴訟を提起した(昭和六三年(ワ)第一八五七号損害賠償請求事件)。右事件は、平成二年六月一一日、大略八雲商事が被告に対して、二二五〇万円を支払う旨の訴訟上の和解が成立している。)、⑥事件について八雲商事はやむなく控訴し(⑦事件)、小林元弁護士、大久保雅晴弁護士(以下「大久保弁護士」という。)が八雲商事の訴訟代理人を担当し、昭和六三年一二月二〇日、大要原告浅川らが八雲商事に対して三〇〇万円を支払う旨の訴訟上の和解が成立し、右金員は被告が取得した。この間、被告は同人が八雲商事に対して損害賠償請求訴訟を提起していることを理由として、小林元弁護士に対して「損害賠償については一切譲歩しない」旨記載した内容証明郵便を送付しているほか、大久保弁護士が被告に対して、八雲商事が原告浅川らと和解をしたいという意向を有している旨伝えたところ、被告から和解をしないよう話しをされた。

二(一)  被告の違法行為(武藤関係)

(1) 以上のとおり、被告は、原告浅川らから武藤との間に存する債権の存否に関する紛争について依頼を受けこれを承諾し、同人との間で同人の債権につき合計七五〇万円を支払って第一抵当権を全て抹消する旨の和解契約を成立させ、武藤にその抵当権を主張させる機会を失わしめたにもかかわらず、これを抹消せず、自己の報酬請求権を担保するため、自己にこれを移転させた。その後の第一抵当権の移転、付記登記及びその抹消や①ないし③事件の申立、提起は前記のとおりであるが、前記認定の経緯、事情を総合すれば、被告は、原告浅川らが被告の要求に応じないことに立腹し、同人らを困惑させるため、被告が主導的に①ないし③事件の申立、提起をさせ、かつ、報告書を作成するなどして原告浅川らから受任した際に得た知識を武藤のために提供し、武藤に積極的に協力したものといわなければならない。被告は、弁護士として依頼者の利益のために誠実に行動すべき義務及び弁護士法二五条一号にいう「弁護士は、相手方の協議を受けて賛助し、又はその依頼を承諾した事件については、その職務を行ってはならない。」義務があるにもかかわらずこれを怠ったものであり、かつ民法七〇九条により原告らに対し慰謝料を支払うべき義務がある。

(2) さらに、①及び③事件については、前認定のとおり、武藤は原告浅川ら三名との間に、同原告らが七五〇万円を支払って第一抵当権をすべて抹消する旨の合意を成立させ、右七五〇万円の支払いを受けたのであるから、これを抹消すべき義務を負い、また、被告は同原告らの代理人として右和解を成立させたのであるから、同抵当権を抹消すべき義務を負うにもかかわらず、これを自己名義に移転し、さらに長良工業あるいは武藤名義に移転することによって同人が競売申立てをする契機を作出したものであり、被告が第一抵当権の登記を抹消していれば、現に①及び③事件の申立てはなかったものと認めることができる。したがって、被告は、原告浅川らがこれに対抗する手段をとるため、同原告が支払った弁護士費用を支払う義務がある。

しかし、②事件については、抵当権の登記の有無に関わらず、武藤が佐藤の債権を譲り受けることによってこれを請求できる関係にあったものであり、本件全証拠をもってしても、被告がそもそも債権請求の意思を有していなかった武藤を翻意させて訴え提起をさせたとか、被告が武藤に協力したことによって初めて原告らが武藤との関係で和解金九〇〇〇万円を支払わなければならなくなったとの事実を認めることはできず、また、被告が佐藤の債権について説明しなかったことと右和解金の支払いとの間に因果関係はないから、この点について不法行為をいう原告らの主張は採用できない。

(二)  被告の違法行為(八雲商事関係)

(1) また、同様に、前記認定の経緯事情を総合すれば、被告はいったんは八雲商事との間に和解を成立させ、これに従い原告浅川らが三〇〇〇万円を支払ったことを知りながら、原告浅川らに対して立腹し、同原告らを困惑させるため一方的に右和解を解除し、被告が主導的に④ないし⑥事件の申立、提起をさせ、かつ原告浅川らから受任した際に得た知識を八雲商事に提供して、積極的に協力したものといわなければならない。被告は、弁護士法二五条一号の義務があるにもかかわらずこれを怠ったものであり、かつ、民法七〇九条により原告らに対し慰謝料を支払うべき義務がある。

(2) また、前認定のとおり、被告は原告浅川ら三名、被告及び八雲商事との間で、原告浅川ら三名は八雲商事に貸金元本三〇〇〇万円及び利息損害金一五〇〇万円の債務があることを確認し、被告は重畳的にこれを引受け、かつ、右三〇〇〇万円については昭和五一年一二月二五日、右一五〇〇万円については昭和五五年一二月末日までに支払う旨の和解を成立させ、右三〇〇〇万円については同原告らが支払ったのであるから、同被告としては、同原告らまたは被告が遅延損害金一五〇〇万円を昭和五五年一二月末までに支払うことにより右紛争を円満に解決すべき義務があったにもかかわらずこれを怠り、かえって、自らが負担した義務を免れる目的から一方的に右和解を解除したとして八雲商事の原告らに対する抵当権実行に協力し、原告浅川が八雲商事ないし長良工業から④及び⑤事件の競売申立を受ける事態を作り出した。被告は、民法七〇九条により、同原告がこれに対抗する手段をとるため支払った弁護士費用を支払うべき義務がある。

(3) さらに、その後被告は自己が八雲商事に対して有する報酬請求権を確保する目的から八雲商事が原告浅川らに対して有する債権を事実上譲り受け、⑥事件を被告の費用において提起したが、八雲商事が原告らに対する関係で債権放棄の意思表示をした後に、被告は八雲商事に対して自己の譲受債権の侵害であるとして強く抗議し、やむなく八雲商事は⑥事件について控訴し、⑦事件において原告らは八雲商事に対して和解金三〇〇万円を支払ったことなどの事実が認められる。これらの事実からすれば、被告は、弁護士法二八条に反して取得した自己の債権を確保するため、原告らに対して貸金を請求する意思を放棄した八雲商事をして、⑥事件について勝訴した原告らに対して控訴を提起させるに至ったものであり、右被告の行為がなければ、同原告らは和解金を支払うことはなかったものと認めることができる。

したがって、被告は、⑦事件について、民法七〇九条により原告浅川が支払った弁護士費用及び和解金を支払う義務を負うものと解されるが、⑥事件は訴え提起当時原告浅川らが本来利息、損害金一五〇〇万円を支払うべき義務を負担していた(元本については訴え取下げ)ものであるから、応訴の弁護士費用を被告に負担させるべきではない。

三被告は、武藤との関係で、「佐藤から異議が出た場合責任をもって善処する旨約していたが、原告らが一方的に解任してしまったため、被告の武藤に対する約束は履行不能になってしまった。そこでやむなく、被告は武藤に対しその旨陳謝し、佐藤に対する対策すなわち佐藤の有する二六〇〇万円の債権を原告らから回収する対策を講ぜざるを得なくなってしまった。」旨、八雲商事との関係で、「原告浅川らが被告を一方的に解任してしまったため、八雲商事に対する一五〇〇万円の引受債務を履行する理由がなくなってしまった。」旨、両者の関係で「亡喜治が八雲商事、長良工業、被告、武藤の四名を被告として根抵当権抹消登記請求訴訟を提起したため、被告は他の共同被告とともに応訴のため亡喜治の請求に対する対策を講ぜざるを得なくなってしまった。」、「従来の経緯に熟知している被告が武藤、八雲商事に協力せざるを得なかったことは当然であり、右協力行為が原告らに対する不法行為となるものでない。」旨主張する。

しかし、前認定のとおり、被告は、原告浅川らが被告提案の報酬の支払い及び債権、抵当権の譲渡について承諾をしなかったことや、被告の態度に疑問を抱いた原告浅川が日本画の表装代一七〇万円の立替代金について領収書の提示を求めたことに立腹し、一方的に辞任したものであり、原告浅川らとの間に紛争が生じたからといって反対当事者に協力等して、同原告らに対する債権を取り立てることが許されるわけではなく、さらに、被告は亡喜治の訴訟に単に応訴しただけではなく、前記認定の目的で、武藤、八雲商事らに積極的に協力したものであるから、被告の主張はいずれも理由がない。

四損害

(一)  <書証番号略>並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1)  原告浅川は、①事件に対し執行異議訴訟の提起(東京地裁昭和五五年(ヲ)第三五一号)をし、昭和五六年八月一一日、①事件の競売申立を却下する決定がされたが、武藤が抗告(東京高裁(ヲ)第七五〇号)したので、これに応訴し、同年一〇月二八日、抗告棄却された。このため、原告浅川は、斎藤弁護士に対して一五〇万円の報酬を支払った。

(2)  原告浅川は、③事件に対し、競売停止仮処分事件(東京地裁昭和六一年(ヨ)第五八八五号)の提起をし、このため、斎藤弁護士に対して一〇〇万円の報酬を支払った。

(3)  原告浅川は、④事件に対し、競売停止仮処分事件(東京地裁昭和五二年(ヨ)第七八六四号)を提起し、このため、斎藤弁護士に対して二〇万円の報酬を支払った。

(4)  原告浅川は、⑤事件に対し、競売停止仮処分事件(東京地裁昭和五四年(ヨ)第七四三六号、同五六年(ヨ)第八三三〇号)を提起し、このため、斎藤弁護士に対して二〇〇万円の報酬を支払った。

(5)  原告浅川は、⑦事件に対し応訴し、このため、斎藤弁護士に対して四五〇万円の報酬を支払い、和解金として三〇〇万円を支払った。

そして、①ないし⑦事件(②及び⑥事件を除く。)の内容やそれら事件での当事者双方の主張及び証拠関係等、審理の経過に照らすと、右報酬金額はそれぞれ妥当なものと認められる。

(二)  また、慰謝料について判断するに、被告は、前認定のとおり①ないし⑦事件の申立、提起に関与し、亡喜治、同艶子、原告らに多大の労力と費用の支出、多大な精神的苦痛を与えたものと認めることができる。これら原告の精神的苦痛を慰謝するには原告浅川には一〇〇万円、同和田信裕、同竹井治子、同佐藤久榮、同浅川喜裕、同浅川裕三には各二五万円が相当である。

(三)  結局、被告は、不法行為による損害賠償に基づき、原告浅川に対し一三二〇万円、同和田信裕、同竹井治子、同佐藤久榮、同浅川喜裕、同浅川裕三に対し各二五万円の支払義務を有する。

五以上のとおり、本訴請求は、原告浅川に対し一三二〇万円、同和田信裕、同竹井治子、同佐藤久榮、同浅川喜裕、同浅川裕三に対し各二五万円及びこれらに対する不法行為の日の後である平成元年六月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用し、仮執行の宣言については相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官谷澤忠弘 裁判官古田浩 裁判官細野敦)

別紙物件目録<省略>

別紙登記目録二<省略>

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